2.  お風呂の功罪と無浴法の意義


私ども無浴子夫婦によるおっかなびっくりの実験を、熊本の環境浄化活動団体でEM販売店でもある『クリーン帯山』に2年前、2002年12月に提出した『無浴実験報告書』が骨子となっています。
妻は病気療養中で、実際にはお風呂に入りたくても入れないのです。いいえ実を言えば、怪力を誇った私がいつの間にか、妻を階下のお風呂まで連れて行き二人分の体を流す作業に疲れるようになったのです。階段で転んだり、お風呂で滑ったり、看護、介護につきまとう危険にしばしば襲われるようになりました。
そこで、ある日二人で決心して、こんな危険な目に遭うのであればお風呂は止めよう、と様々な試みを始めました。
当初は体が臭うのではないかと、妻と二人でチェックしあい、人前に出る時も緊張したものですが、この3年間無浴状態に気付いた人は一人もいません。「私どもはもう1年間お風呂に入っていないのですよ。」、とある人にうっかり話しますと、じりじりと後ずさりしながら、ばたばたと帰っていきました。その後ろ姿のおかしかったこと。
日本人は昔から毎日入浴していたなどと思ってはいけません。そんな贅沢な状況に慣れたのは70年代以降です。それ以前は、水と燃料を節約しながら、お風呂日を待った家庭が多かったはずです。江戸期であればほとんど行水で済ませたことでしょう。それでも当時の外国人に記録された日本は、世界でも比類ない位清潔な都市を維持していました。衛生は保たれていたのです。
そろそろ湯水のように資源を費やす習慣を見直してみませんか。人の皮膚は常在菌に包まれ、自浄作用を具えており、不潔さの原因は常在菌とその餌を流す『石鹸』にあることに気付くだけでよいのです。
その後2年間が経過していますが、内容の変更点はほとんどありません。ただ、効果が予想以上に大きいことに驚いています。内容についての責任、及び文責は無浴子にあります。(EM関連団体にはありません。)
実験 報 告 者  無浴子 53歳 とその妻
実験期間 2002年3月より現在も進行中
E-mail: muyokusi@yahoo.co.jp
入浴は体を清潔に保ち、血行を促進し健康増進に役立っていますが反面、『高齢者の体調の急変は、その多くが入浴中に起こっています』との旨国立循環器センター(担当 内科高血圧腎臓部門 河野雄平氏)が全国の医療施設にポスターを配布して広く警告しているほどです。
入浴して体を流す作業そのものが体力を消耗させます。本人のみならず育児、看病、介護などの入浴時のケアは大変な重労働です。日本人の大好きな入浴は、人によっては、また場合によっては明らかに有害なのです。

入浴による事故は2004年群馬県警の発表だけで255人の死者、これを全国平均とすれば、日本中で毎年13000人が入浴中に死亡しており、この数は交通事故を超えています。さらに、重軽傷者も交通事故を超える100万人に達するのではないでしょうか。お風呂の危険度は極めて高いのです。(V1.04)

更に地球規模でみますとご存知の通り、貧困や災害、戦乱による難民生活、路上生活などで私たちの住むこの世界には余りに多くの人が必要な入浴も出来ずに不衛生な状態で暮らしています。災厄の解消こそ焦眉の急ですが、『EM無浴法』はその間の非常時にあって福音となることでしょう。
一方地球環境から入浴を検討してみましょう。私たちの体だけをきれいにするために、入浴に浪費される水資源、お湯を沸かすための燃料資源の消費とCO2の発生、界面活性剤、石鹸やシャンプーのための水質汚染等、人口に比例して地球環境への負荷は増大していきます。
地球温暖化に起因すると見られる自然災害も激増し、地震、洪水、台風、などによっていつ私達は避難生活を余儀なくされるかわかりません。予想されるプレート規模の大地震も時間の問題であることが震災の周期性から明らかにされています。待ったなしで、私達はお風呂のない状態に適応しなければなりません。その技法はEMによって達成されています。
もし入浴の必要性がなくなるとしたら人の生活改善や環境浄化に大きく貢献することでしょう。ただしEM無浴法はお風呂を拒絶することではなく、かえって石鹸で体を流す必要がないので実践者は温泉などを存分に楽しめるようになります。
石鹸を使わず、お風呂からの上がり際にEM拡大溶液(またはとぎ汁発酵液)を全身に塗布すれば無浴法と入浴は両立します。無浴法の実践者は、いつでも好きなときに温泉やお風呂にはいることが出来ます。入浴をしてもしなくても石鹸を使用せず、EM拡大溶液(またはとぎ汁発酵液)を皮膚にやさしく塗布することだけが要諦です。
(石鹸を使用してもすぐその後EMを塗布できれば、皮膚の常在菌は急速に回復します。EM配合の石鹸であれば更に良い結果が出ると思います。)(V1.04)